「話しても何も生まれない」と感じるのはなぜか
つらいことがあったとき、「誰かに話すといいよ」とよく言われます。
たしかに、話すと少し楽になることはあります。でも、話し終わったあとに、こう思ったことはないでしょうか。
——結局、何も変わっていない。
愚痴を聞いてもらって、その場ではすっきりした。なのに、次の日にはまた同じことで頭がいっぱいになっている。相手は親身になってくれたのに、自分の状況は一ミリも動いていない。
この感覚には、理由があると思っています。
話すことは「発散」であって「整理」ではない
人に話すという行為は、多くの場合、気持ちを外に出すことが目的になります。溜まっていたものを吐き出す。それ自体は悪いことではありません。むしろ必要なことです。
でも、発散と整理は別のものです。
コップに濁った水が入っているとして、それを別の容器にぶちまけても、水は濁ったままです。すっきりするのは、こぼした瞬間だけ。中身は何も変わっていません。
話すことで得られるのは、この「こぼした瞬間の軽さ」であることが多い。だから、話し終わったあとにまた重くなる。
相手の反応が、新しいノイズになる
もう一つ、やっかいなことがあります。
人に話すと、相手は必ず何かを返してきます。共感してくれたり、アドバイスをくれたり、心配してくれたり。
それがありがたいときもあります。でも、求めていないときには、それ自体が新しい負荷になります。
「わかるよ」と言われて、いや、たぶんわかってない、と思う。「こうすればいいんじゃない?」と言われて、それができたら苦労してない、と思う。心配されて、気を遣わせてしまったな、と申し訳なくなる。
自分の悩みを整理したかっただけなのに、今度は相手の反応をどう受け止めるか、という別の作業が増えてしまう。
本当に必要なのは、整理される感覚
では、何が必要なのか。
私は、「整理される」という感覚だと思っています。
頭の中でぐるぐると回っていたものが、一度外に並べられて、「ああ、自分はこういうことで困っていたのか」と輪郭が見える。原因はこれで、本当に気にしているのはこの部分で、じゃあ次にできる小さなことはこれかもしれない——そういうふうに、こんがらがった糸が少しずつほどけていく感覚。
これは、発散とは違います。感情を吐き出すことでもない。思考を、外から眺められる形にすることです。
不思議なもので、言葉にできた時点で、悩みは半分くらい整理されていることがあります。「なんとなくつらい」が「これがつらい」に変わるだけで、扱いやすくなる。
誰に整理してもらうか
そして、この「整理」は、必ずしも人間が相手である必要はないと思っています。
むしろ、人間相手だと難しいこともあります。さっき書いたように、相手の反応が入り込んでくるからです。判断されるかもしれない、気を遣わせるかもしれない、そう思うと、本当のことを書けない。
その点、判断しない相手、余計なことを言わない相手に向けてなら、素直に書き出せることがあります。
私自身、つらいときにそうやって気持ちを整理して、少し楽になった経験があります。その経験が、このサービスを作るきっかけになりました。
話しても何も生まれないと感じるなら、それはあなたが悪いのでも、相手が悪いのでもなくて、ただ「発散」しかできていなかっただけかもしれません。
必要なのは、整理することです。
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